7年後は40代になりたての私ですが、オリンピック開催中はマンスリーマンションなどを利用して、TOKYO2020のお祭り気分を満喫したいと今から楽しいです。その頃には子供は小学生。一緒にワクワクしまくりたいと思います。
さて、私が社会に出てからはずっと不景気と言われてきました。いい年の大人は「失われた10年」とか「日本が停滞」と定義し、Tokyo2020を停滞の終わりにと言うけれど、この間20代を過ごしてきた私にはずっと上り坂でした。当たり前ですが、20代なので成長しかありません。
何も失っていないし、むしろ手に入れてきました。
それはバブルまでの人にはゴマ粒程度の大きさかもしれません。しかし、20代前半より30代の今のほうがはるかに幸せで自己を持っています。知識の量が増え、ネットをより扱えるようになったぶん、安い値段で素晴らしい家電や便利製品を買うことができます。家・車などの大物からガシェット・生活用品まで何でも昔より安い。
20代前半の私はブラウス1枚買うのが困難でした。それに比べて今はポン!とは買えないけれど、工夫して努力したら買えるものが多いのです。
前回のオリンピックが「戦後」の終わりを告げたということで、Tokyo2020に何か意味を持たせたいと日本人は思うでしょう。そもそもオリンピックに意味を見つける必要があるかどうかという問題はあります。そうは言っても付けるとしたら、これまでの不景気の終わりという、ある一定年齢層以上の考えでオリンピックにイメージ付けしないでほしいのです。
海外旅行に行くと、日本は何て住みやすい国なんだろうと思います。今でも十分すごい国と思います。
世界第2位の経済大国は過去の栄光でしょう。今の人口構成で返り咲こうとしても、少し考えただけで「難しそうだな」と分かります。
だから、「日本新世界」を告げる大会になればいいと思います。
過去の栄光を取り戻す必要はありません。「昔みたいに」。それはいい年の大人の昔への執着ではないでしょうか。超高齢化社会を支えるのは、最後はやっぱり若手です。
今の財政や人口構成の中で一番幸せに暮らせる形を新しく創造すればいいのです。これからの超高齢化社会で、日本人が幸せに生きていける新しいカタチをどんどん作り出していけばいいと思います。これからの時代を創るのはおじいちゃん・おばあちゃんではなく、人数は少なくても若手なんです。
オリンピックはあくまでスポーツのイベントですが、Tokyo2020は「新しい考えで国の運営が始まった」ことを決定づける大会であったと後世に言われる大会になってほしいです。
「失われた20年」がこれまでの人生の大半を占める若手より
何はともあれ、開催決定おめでとうございます!