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ちょっとした考え

神田うのさんのベビーシッター報道と、子を預けることをディスる風潮にひとこと

うのさんのベビーシッター報道の記事が目がとまりました

子を預けて働くことは良いことという意見を書いています子を預けて働くことは良いことという意見を書いています

神田うのを私は責めない~ベビーシッターに預けたら本当に“母親失格”なのか?2015年7月6日母親が「働かざるを得ない」はOK、「働きたい」はNGという価値観

ひごろ考えていることが「どーっ!」っと出てきたので、書き残します。

 

神田うのさんのベビーシッター4人が責められる本当の理由

うのさんが責められるのは、「ベビーシッター4人を雇えるだけの仕事力も、お金もあるのが羨ましい!」からに過ぎない。
 
「小さな子供を自分で育てるべき」という論調は、母親の、「世間と関わりが途切れている」「自分の仕事を諦めてしまった」「主婦しかできることがない」などの言語化することなく感じている「無力感」が一つの原因。だから、そう感じている人は、誰も責めていないのに「子が可哀想」という言葉で自分の今を肯定するし、うのさんの行動を責める。
 
また別の原因もあると思っている。
 
「世の男性の脳」にインプットされている、「母親には甘えたいものだ」、「妻に母親と同じように振る舞ってほしいものだ」「家事は女がするものだ」と、やはり言語化せずに感じている「バブー根性」だ。これは、時代が変わったので、頭のなかを修正してほしいと常日頃から思っている。女はみんな「母親」で「家族の世話をする人」なのではなく、「喜怒哀楽のある、1人の人間」「働きたい気持ちの強いひともいて、日々葛藤している」と知ってほしい。
 
それから、子はあずけられても全然かわいそうではない。
 
むしろ良い。子は外に出せば経験値を積んで、飛んで帰ってくる。母親1人が家の中で与えられる影響よりもはるかに沢山の刺激を受けてくる。
 
義母にもあずけたくないという人がたまにいるけれど、それで子は外で食っていける力を得られるのか?と思ってしまう。実際、子は外を1歳ごろから楽しんでいたし、祖父母宅に何日も1人でお泊りもできるようになった。友達を作る力も、囲われて育った私なんかよりはるかに高くなった。私が幼い頃よりもできることはたぶん多い。

 

ベビーシッターにあずけることより問題なこと

「ベビーシッターに預けると母親失格か」という議題よりも、ずっと問題なのは、1歳〜6歳という、人の成長にとって確かに大切な時期に、「自分が心からお願いしたい!」と思える施設が少ないことや、あったとしても高額過ぎることのほう。
 
自分が納得できる教育や経験を与えながら、外でやりたい仕事をする人に、私はなりたい。「まだ力が足りていない、わたしは無力だ。」、いつもこんな思いに苛まれながら、やり方は下手くそと断言せざるをえないけど、それでもできることをする。
 
羨ましいと思っているだけでは、何も変わらないから。行動だけが、自分のあり方を変えるから。
 
ただ、それだけだ。

 

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